愛おしいものを増やすことは生きるための動機を増やす
なんかデジカメって、最近使わないです。
スマホになってから、データの移動も楽だしほぼスマホカメラでいーでしょ。っていう。
こないだ台湾旅行に行った時に久しぶりにデジカメを持ち出したら
ちょうど2年くらい前に撮った写真がたくさん入っていました
思い出したくないもの
忘れられないもの
ずっと残しておきたいもの
大切なもの
大好きなもの
いろーんな写真があり
すべて私の目を通して
さらにはデジカメのレンズを通して
全部なんて収められないけど、でもその瞬間切り取りたいと思った場面で
それらを見てたら
嬉しかったり
幸せになったり
それだけでなく
悲しかったり
切なくなったり
場面や周りの環境はどんどん変わって行くけれど
だんだん年をとってきたからか
はたまた持って生まれた個性かは不明だけど
自分が写したいなと思うものや
残したいと思う風景、
そこにある感動みたいなものは
今見てもやはり当時の自分の気持ちがよくわかるものが多いし
今その場面に戻れたとしたら、また同じ構図で同じ被写体を撮るような気がします
それを進歩がないと言えばそうだし
変わらない大事なものと言えば、それはそれで聞こえがいいかもなと思います
海
灯台
インコ
ピアノ
今も昔も頼りにしている親友
結婚すると確信して疑わなかった元彼
今は無き愛車ムーヴ
当時、大好きなものばかりだった
今も大好きなものも
もう崩壊したものもあるけど
ポジティブな感情だけではないけど
でも、やっぱり一言で言えば全部愛おしいな
愛おしいものが世界にいっぱいあるって
誇らしいような気分です
自分が生きてる価値はなくっても
自分が生きるための動機になるからです
これからもっと愛おしいものが増えていったらいいな